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おしたりという漢字が一発変換できません2010
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ネウロアニメに関しては夜中に吐き出せたのでもう霧散しました。
ふうすっきり。


アニメといえば
プラネテスは原作と愛ちゃんのキャラを微妙にかえて構成もかえて
しかしアニメなりにクオリティは原作に負けてなかったなあと
愛ちゃんはアニメでは漫画より人間味出ててよかったし
宇宙のシーンとかすげえ作り込んでたし

原作通りで成功した例なら鉄コンですよね
原作の世界をさらに磨き上げて広げて、ダイナミックさも数倍素敵になってた
つか木村さん と 鈴木が ってかネズミが 好きで 好きすぎて どあああ!!
声の俳優さんつうか舞踏家さんの田中さんもすげえ好きで声かっこよくて渋くて
あのひとが國春やってくれるなら私もう死んでもいいと本気で思います

岡崎京子が何故映画にならないのか不思議です

預言者ピッピはマジで誰か映画にしてください

島田虎之介作品も誰か映画にしてください
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脳内が半分以上逃走しかけてるので國春でも妄想してみます。
つか國春視点の物語が今一番描きやすいんですが、某様や某様からのご指摘があったようにたぶんそれは私が今一番シンパシー感じてるからなんだろうなあと。
要するに見てるモノとか感じ方を國春に投影するのが今一番しっくりいくんですよ。
私が國春に似てる(これ指摘された時素で恥ずかしかった)というよりも、國春が私と丁度同じ立ち位置にいるような…。

うちの國春さんは基本的に素の自分通りに生きているようにみせかけて生きてたらそれが本当に自分の生き方になっちゃったような人で、まあなんていうんですか…役者で演技達者であるんだけど役者そのものの人格がまるでつかめない人なんですよね。ていうかたぶん本人もわからないんだと思うな。本当の自分ってなんだ。なんだろうね。私もわかりません。自分探しの旅?ははん自分なんてのは常にここにあるじゃないかこのやろう。というより自分とは相手がいることによって初めて認識される意識であり…云々…やばい逸れた。

で下で吾ユがなんとかとかうだうだ言って、じゃあ國春と忍はどうなんだって話になると思うんですが、國春は吾代君にはそういう自分の素の部分(あるのかわからないけど)とか弱味は絶対見せたくなかったんだと思うんですよね。たぶん憧れられてるのがわかってたからそういう思いを裏切りたくなかっただろうし、あんまり近づかれると本性とか弱味がバレそうで、でもバレることを絶対に國春自身が望んでなかったからなんじゃないかなと。なんだ…同情されたら自分が可哀想な人になってしまうから嫌だった。相手の目にそう映る自分が想像しただけで許せない。誰にも悟らせなければ自分はきっと自己満足でも楽しく生きる事ができる。だから誰かに寄りかかるとか頼る側になることを拒絶してたんじゃないか。拒絶。うん。國春はすごく拒絶的な生き物なんだと思うなあ。拒絶することを受け入れている。だから周りの人と打ち解けられる。皆が好き、ということでそれ以上に関わることを拒む。相手のテリトリーに侵入するくせに自分のテリトリーには決して誰も入れない。

あーそういや原稿してて没にした中学生日記があったなあ。
ちょっと探してあったら上げますね。
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